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ノートというにはあまりにも小さな数行のメモ、これが日本に開戦を決断させるとは。
当時、外交戦術においてはアメリカは日本の数段先を進んでいました。
日本はとうとう痺れを切らして負け戦に引きずり込まれた訳です。
それでも4年間ほど持ちこたえた日本軍の底力は相当なものであったと推察されます。
(スラチャイ記)

cite from wikkipedia (日本語翻訳 by srachai)

Hull note
ハルノート

From Wikipedia, the free encyclopedia
無料百科事典ウィキペディアより

The Hull note or officially Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan was the final proposal delivered to the Empire of Japan by the United States before the attack on Pearl Harbor and the declaration of war between the two nations. The note was delivered on November 26, 1941; it is named for Secretary of State Cordell Hull.
ハルノートは日本と米国との外交関係の基本的合意事項に関する米側の案で日本のパールハーバー奇襲、引き続き行われた両国の戦闘開始宣言に先立って米国より日本帝国に提出された最後の通達となっている。
このメモ(ハルノート)は1941年11月26日に提出されているが、作成者の米国秘書官コーデルハルにちなんでその名前が刻み込まれている。

Background:
背景:

The United States objected to the Second Sino-Japanese War and the occupation of part of China by Japanese troops. In protest, the United States sent support to the Nationalist government of Chiang Kai-shek. In July 1941, Japanese military units occupied southern French Indochina, violating a gentlemens' agreement. Japanese bombers quickly moved into bases in Saigon and Cambodia, from where they could attack British Malaya. As a result, immediately after the Japanese military occupation, the US government imposed trade sanctions on Japan, including the freezing of Japanese assets in the United States, and an embargo of oil exports to Japan.
米国は日本軍の(日清戦争に次ぐ)第二次日中戦争の開始と中国を部分的に占有するのを快しとしなかった。それで米国は蒋介石率いる国民党を支援していた。1941年7月、日本軍は仏領インドシナの南部を占領したが、これは各国間で結ばれている紳士協定に違反するものであった。日本軍の爆撃機はすぐに(仏領インドシナ南部の)サイゴンとカンボジアの基地に移送された。これらの基地から英領マラヤに出撃できる体制にあった。その結果、日本軍のこの(仏領インドシナ南部)占領直後に米国は日本に対して貿易禁止の措置をとった。この措置には米国内の日本の資産の差し押さえや日本に対する化石燃料の輸出禁止が盛り込まれていた。

On 5 November 1941, Emperor Hirohito approved, in Imperial Conference, the plan for the attack on Pearl Harbor. At the same time, his government made a last effort to arrive at a diplomatic solution of their differences with the United States. Ambassador Kichisabur? Nomura presented two proposals to the American government.
1941年11月5日、昭和天皇は帝国議会にて真珠湾奇襲作戦を敢行することを決定した。
同時に、この時期帝国議会は米国との意見の食い違いについて外交政策で解決する道を模索していた。
当時の米国駐在大使kitchisaburo nomuraが米国との和解に向けて米国議会に二種類の和解案を提示していた。

The first, proposal A, he presented on November 6, 1941. It proposed making a final settlement of the Sino-Japanese War with a partial withdrawal of Japanese troops. United States military intelligence had deciphered some of Japan's diplomatic codes, so they knew that there was a second, follow-up proposal in case proposal A failed. The United States government stalled and then rejected proposal A on November 14, 1941.
第一の提案、提案Aは1941年11月6日に米国議会に提出された。侵攻中の中国からの日本軍の部分的撤退がその和解案には記されていた。当時の米国軍事示唆機関は外交文書に固有の印を見破っていた。それで彼らはこの和解案Aが受け入れられないときには次の和解案Bの提示があるのを見破っていた。米国議会は和解案Aへの返事を引き延ばしやがて拒否することになった。1941年11月14日のことだ。

On November 20, 1941, Nomura presented proposal B, which proposed that Japan stop further military action in return for one million gallons (3,800 m3) of aviation fuel from the United States. The United States was about to make a counteroffer to this plan which included a monthly supply of fuel for civilian use. However, President Franklin D. Roosevelt received a leak of Japan's war plan and news that Japanese troopships were on their way to Indochina. He decided the Japanese were not being sincere in their negotiations and instructed Secretary Hull to drop the counter-proposal.
1941年11月20日、nomura大使は和解案Bを提出した。和解案Bには米国からの飛行機の燃料100万ガロン (3,800 m3) 相当の日本への輸出を条件としてさらなる軍事活動を停止する旨が記されていた。
そのとき米国では和解案Bに対する返答をしたためているところであった。この返答には民間使用を目的とする化石燃料の日本への輸出月間スケジュールが記載されていた。ところが、当時の米国大統領フランクリンルーズベルトは別ルートで日本政府の戦争の計画とインドネシアに向けて日本軍が侵攻している情報を得てしまった。大統領は日本との一連の和解交渉の過程で日本が誠実でないことを見破って、秘書官のHull氏に和解案Bに対する回答をしたためるように以来した。こうして出来上がったのがHull Noteである。

The note:
ハルノート:

On November 25 Henry L. Stimson, United States Secretary of War noted in his diary that he had discussed with US President Franklin D. Roosevelt the severe likelihood that Japan was about to launch a surprise attack, and that the question had been "how we should maneuver them [the Japanese] into the position of firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.'"
1941年11月25日、米国の戦争担当大臣ヘンリースチムソンは彼の日記の中にこう記録している。日本がまもなく米国に対する奇襲攻撃をかけてくることをルーズベルト大統領に伝えた。「問題はどうやって日本に最初の攻撃を誘発させるのか、願わくは我方に最小の被害で。」

On the following day, November 26, 1941, Hull presented the Japanese ambassador with the Hull note, which as one of its conditions demanded the complete withdrawal of all Japanese troops from French Indochina and China. It did not refer to Manchukuo, in which hundreds of thousands of Japanese civilians were already living. Japanese Prime Minister Tojo Hideki said to his cabinet, "this is an ultimatum."
次の日1949年11月26日、ハル氏は駐米日本大使にハルノートと呼ばれるメモを手渡した。ハルノートには日本軍のインドシナ半島と中国からの完全撤退が条件の一つとして明記されていた。だが、満州国については何も条件が示されていなかった。当時満州国には数十万人の日本の民間人が入植して生活していた。日本国首相、東条英機は、このハルノートに記載されている事項は米国からの最終通告であると帝国議会で述べた。

The strike force which attacked Pearl Harbor had set sail the day before, on the morning of November 26, 1941, Japan time. It could have been recalled along the way, but no further diplomatic progress was made and on 1 December, Emperor Hirohito approved, in Imperial Conference, the war against United States, Britain, and the Netherlands, which began by the attack on Pearl Harbor, Malaya, and the Philippines.
日本軍による真珠湾奇襲艦隊は帝国議会の開催日の前日(日本時間1949年11月26日早朝)には日本を出発していた。途中で引き返すよう指示することもできたはずだがそうはしなかった。それから(ハルノート受諾日)より目立った外交上の進捗はまったくなかった。そして1949年12月1日、昭和天皇が帝国議会で米国、英国、オランダに対する宣戦布告を許諾した。それから直ちに真珠湾、マラヤ、フィリピンの攻撃を開始した。

Jonathan Daniels, President Roosevelt's administrative assistant at the time, noted Roosevelt's subsequent reaction to the Japanese attack on Pearl Harbor - "The blow was heavier than he had hoped it would necessarily be. ... But the risks paid off; even the loss was worth the price. ..."
当時ルーズベルト大統領の顧問をしていたジョナサンダニエル氏は次のように記録している。日本軍の真珠湾攻撃に対する報復に関して次のように記録している。「日本軍の真珠湾奇襲攻撃による損害はルーズベルト大統領の予想をはるかに超えるものではあった。この償いは日本にしてもらう、今回米国が真珠湾奇襲攻撃で受けた被害にみあうほどに。」

Some modern Japanese commentators say the note was designed to draw Japan into war and thus claim Japan was not the aggressor nation in the Pacific War. Toshio Tamogami, who was the Japan Air Self-Defense Force chief of staff, was sacked by the Japanese government in 2008 for taking this position.
日本の記者の中にはハルノートは日本を戦争に引き込むために意図的に作成された、それで太平洋戦争の中では日本はアジアの侵略国としては描かれていない(アメリカが意図的に引きずり込んだので)と主張している。
航空自衛隊の士官Toshio Tamogamiは2008年に日本政府によりこの問題で罷免されている。
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プロフィール
HN:
srachai
性別:
男性
職業:
civil engineer
趣味:
子育て
自己紹介:
妻はタイ人、娘ばかり3人も!

■近況

2009年の9月15日に脳梗塞を発症、右手が少し不自由になりました。
MRAで脳梗塞の部位を特定でき、素早い処置をとれたので大事に至りませんでした。
快復にむけてリハビリ中です。
(2011/01/01更新)

■自己紹介・リンク

[ はじめに ]
タイのスラチャイです。
英語学習に王道はありません。
毎日毎日の地道な努力の積み重ねが必要です。
スラチャイはNHKのラジオ英語会話で現在の英語力を身につけました。
一日僅か15分の学習でも数年間継続すれば相当な学習効果が期待できます。

[ 名前 ]
松井 清 (スラチャイ)

[ 略歴 ]
・福岡県出身
・国立高知大学卒業
・準大手建設会社に就職
・50歳で会社を早期退職
・99/10 タイ全土を旅行
・00/10 タイに移住
・03/07 カイちゃん誕生
・07/06 シーファーちゃん誕生
・現在タイ国コンケン在住

[ 座右の銘 ]
Slow and steady wins the race.
遅くとも着実な者が勝利する
(NHK基礎英語芹沢栄先生)

[ 学習の手引き ]
・音読して耳から英語を吸収
・Think in English.
・ネイティブ発音付辞書活用
・英英辞典を活用(英和も)
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